Amazonで本をポチるまでの逡巡。
図書館で本を無造作に借りて来て、読んで、
自分がイイなと思った本をアマゾンで購入しようとした、
いつもと同じ、"イイ本"と出会った時の流れ。
ポチろうと思ったそのとき、ふとカスタマーレビューに視線が移った。
なぬ、買おうと思った本に関する評価が思ったより良くない。
人の評価と自分の評価は違うものだと、頭の中で分かってはいるものの、
なぜかこの本を買うか買うまいか、ほんの少し逡巡した自分がいたことに気がつく。
ネガティブな評価に関していくつかを詳しく読んで見ると、
自分がいいなと思った内容と、彼らの論じている内容が異なることに気がつく。
あぁ、なるほど。
この人たちから見るこの本の視点と、僕から見る視点は違うんだ。
そのように完全に納得した、
はずだった。
まだ何かモヤモヤする。完全に納得していないようだ。
どの部分が引っかかっているのか。
様々な人のレビューを読んでいくと気がつくことができた。
それは、レビュー全体の点数の平均値の値だ。
お金を出して買う以上、無駄な買い物はしたくない気持ちは強い。
その気持ちが、レビューの点数に僕の視線を向けさせる。
"この点数なのに大丈夫なの?"
やはり、人はマジョリティに寄り添いたくなるものなんだろうか。
人の心理をうまく利用したこのレビュー制度。
必ずしもみんながオススメしているからいいとは限らない、特に自分にとって。
これは、インターネットという集合知が生み出した諸刃の剣だ。
一つの判断材料にはしてもいい。
でも判断材料の優先順位は、自分の感覚を上にすべきだ。
マジョリティを上にしていては、自分というアイデンティはどんどん薄れていく。
マジョリティと同一化したいというのなら別だが。
インターネット時代を生きていく私たちにとって一番大変なのは、
地球上で自分という存在を保つことなのかもしれない。
…そんなことを考えつつ、今日もアマゾンをポチる。